商売がどんどん難しくなる。会社を創業した1982年は、QCDを満足すれば買って貰えた時代であった。それが今日ではISOは当たり前で、RoHSに始まる環境基準に加えてCSRをも求められる時代である。要求される項目はどんどん増え、呼応してコストも上がる。価格競争が激しい折にあって、この業務負担は「やれやれ」である。
コンプライアンスとモラルがやたらに求められる時代となってきた。法律の遵守は当然としても、これほどまでにCSRや環境といった「モラルマター」が昨今求められるのは何故か、嫌でも考えざるを得ない。
欧米の企業が環境問題をアピールし始めたのは1990年前後からと記憶する。環境貢献を社是に掲げる骨太の企業が少しずつ現れてきた一方、企業イメージの向上を狙って始めた企業も多く、各社がイメージアップを競い始めた感がある。当初はイメージアップで始まったものが今やリスクマネージメントに組み込まれてしまった側面もある。消費者が直接の顧客である場合、企業イメージの向上を目的として環境問題に取り組む事に一定の理解はできる。しかし現在、環境やCSRに求められる項目は微に入り細に入ったもので、とてもイメージアップだけといったレベルのものでは無い。項目リストの長さは、リスクマネージメント管理項目と見紛うほどだ。元々「事故が起きた後の対処」というリスクマネージメントが、今や「起こる前にリスクをコントロールしておく」という命題に置き換わった。MBAを取得した経営者が増えるにつれ、MBAで繰り返し教えられる「リスクはコントロールするものである」に触発されて、「膾であろうと何でも吹いてしまえ」と何でもコントロールしてしまおうという風潮が高まっているのではあるまいか。
さて、拙老はモラルもコンプライアンスも企業統治の根幹をなすと真面目に考えている。自身が手の届く範囲で小さく経営を閉じ込めるのなら必要もあるまいが、人様に安心して貰う程度の大きさの企業規模を維持しようとするならば、社員を束ねる求心力はこのモラルとコンプライアンスに基づくという道理はある。古い付き合いやしがらみ、義理人情を頼りにして心許ない商いをするよりは、モラルとコンプライアンスのみを頼りに、しがらみも義理も取っ払った合理的な商売をする方がよほど社員に分かりやすく、社員の自己判断で積極拡大が望める。当社の社員にはこの二つさえ守ればあとは何を自由にしても、合理的でさえ有れば良しとしている。ドライで冷たいと言われる事しばしばであるが気にも留めない。
コンプライアンスにもモラルにも、グレーゾーンがある。法律には「してはいけない事」は書かれているが、「して良い事」は書かれていない。当然グレーゾーンがある。モラルとは社会通念であって社会制度化されていないので、ホワイトゾーンという共通認識でさえ怪しい。
欲の塊になってしまうと灰と黒のファインラインを踏み越えてしまう愚を犯し、実直に全てのグレーゾーンを排除すれば清貧に生きると言う事になりかねない。株主も真っ青である。
拙老の判断基準はSUSTAINABILITYである。危うい事をしても長期継続出来なければ意味が無い。せっかく労を掛けても、継続出来なければ掛け甲斐が無いと言う事である。逆に言えば、長期継続出来るのなら貪欲に収益を追う。商売人であれば当然の事である。その為に全てのステークホルダーに相応のリスクを負って投資と支援をして貰っている訳であるから、期待に応える他ない。
ビジネスがグローバル化していく昨今、このグレーゾーンがまた難しい。ところ変わればグレーゾーンも変わる。悩みどころは「郷に入れば郷に従うのか?」である。発展途上国に行けばモラルのハードルがかなり低くなる。相手のモラル基準で仕事をすれば安直、楽と見えるが当然リスクも激増する。
資本集中が起こる発展途上国では、インモラルも資本集中した閉鎖社会に守られる。情報の公開性が確立されていないと、法律を犯してもモラルを欠いても隠蔽しやすくなる。バッシングや不買運動も勢い鎮圧してしまえと言う事になる。かのフランスにおいても革命でいわゆる「第四の階級」が生まれたように、自由と権利のための戦い無くして情報の公開は獲得出来ないのである。
さて、発展途上国で仕事をさせて貰う場合、その基準を自国に置くのか、進出した相手の国に置くのか。拙老が思うには、これもSUSTAINABILITYを判断基準にすべきである。せっかく社員に長年その基準を刷り込んできたのに、ここで国が違えば基準が変わると再度教育するなど、長期努力を無に帰すようなものである。
ここは郷に入れば郷に従うではなく、ハンディを差し上げると言う位の矜持を持って仕事をすべしと考える。生まれ育った国に守られ支えられ、人様の国で仕事をさせて頂いている訳である。支えられた国のモラルを心に抱いて、多少のハンディはあっても堂々と仕事をする気概を見せようではないか。
SUSTAINABILITYを基準とすると、モラルとコンプライアンスこそが企業の行動規範を示す核心のネガティブルールとなる。社員にはこの二つをしっかり守る事を唯一の規範として、あとは自由にやって貰う。過去からの関係やしがらみ、義理と業界の常識に縛られて仕事をさせておいて、一方でモラルとコンプライアンスをしっかり守らせずにリスクを野放図に大きく顕在化させるなど、経営ナンセンスである。リスクを最小化して自由にやらせる事こそがACCOUNTABILITYを醸成すると言える。一老人の経営姿勢である。